2015年1月20日火曜日

『指』リーディング


1年以上のロンドン旅行記が止まっているうちに、今年に入ってから1週間ほどロンドンでBubbleというコミュニティシアターのセッションやワークショップに参加してきました! 子どもとのWS、老人ホームでの活動、地域の人とつくる「選挙」に関する劇、言葉を発するのが難しい子どもに向けておこなっているプログラムのファシリテーター同士のシェア、海外からやってきた演劇人によるギフトの時間。どれもとてもオープンな雰囲気で、演劇が社会の中に自然に受けれられていることをひしひしと感じました。たくさんの試行錯誤の末にたどり着いたであろう成熟した彼らのあり方が、とても心地よかったです。
なぜ今回Bubbleを訪問したかといえば、4月から彼らと日本で地域の人たちと作品をつくるからです。Marigoldという超パワフルな同世代のコーディネーターがいまして、彼女が日本側のスタッフを集めてくれました。今回は演出家で人形劇作家の秋葉よりえさんと、美術家の長谷川康子さんと、作家である私の3人で行きました。私以外は英語がぺらぺらで、私だけ中学生レベルなのですが、4月までにもうちょっとなんとかするつもりです。


            









ワークショップの様子

と、ロンドンでのいろいろや、4月からの活動のこともいろいろお話したいのですが、その前に直近の活動のお知らせをさせてください。

1月23日(金)に『指』という作品をリーディング上演します。

この作品ができるまでの経緯をお話しすると……
2011年11月に「日本の問題」という8劇団合同公演に私の率いるミナモザが参加しました。この企画は2011年初頭くらいから動いていて、「なんでもよいので、あなたが日本の問題だと思うことを芝居にしてください」というお題がありました。何をやるか考えているうちに東日本大震災と福島第一原発事故がおこりました。私は目の前にある、この震災と原発事故というものとなんとか向き合いたいと思い、「日本の問題」に先立って、9月に自分のこの半年間のことをノンフィクションで書いた『ホットパーティクル』を上演しました。これが賛否両論でした。ただ、否のほうのほとんどが「こんなの演劇じゃない」というものだったので、こうあるべきだと決められた演劇なんてくそくらえと思っている私としては乗り越えられる……はずだったのですが、それとは違う理由でこの劇を拒絶する人もいたのがこたえました。根っこの部分の違い、のようなものがその人と私のあいだに横たわっているような気がしてしまい、どうしたらいいのかわからなくなりました。
そうしているうちに「日本の問題」の作品を描く時期が来ました。私はこの『指』という短編を書きました。
舞台は津波ですべてが流されてしまった場所。夜明け前、そこにたたずむ男と女。彼らの前にはハンドルを握る女性の手。男は「指」を切ると言った。
この作品は、出演者のつついきえさんから聞いた実話がベースになっています。その実話というのは、津波のあとで指が切られた死体が見つかったという話。その話を聞いたとき、その指を切った人を想像できないと思いました。だから、想像しようと思いました。描きたかったのは、震災と原発事故であぶり出されてしまった人と人の断絶。この断絶に絶望しないために私たちはどうしたらいいか、ということ。
この作品はその後広がりを見せて、ニューヨークで2012年3月11日にチャリティリーディングしてもらったり、2012年8月に座・高円寺でおこなわれたSHINSAIリーディングというイベントで上演したり、学生版「日本の問題」で上演してもらったり、どこをどう巡り巡ったのか不明ですがイギリスの学生から授業でこの作品を翻訳しているというメールをもらったこともありました。
今回、『WATER Nude 2015』というイベントでこの作品を久しぶりにリーディング上演します。キャストは初演、座・高円寺での再演と同じく、山森信太郎さん、つついきえさんです。
このイベント自体はミナモザでもおなじみの俳優・ドラマターグの中田顕史郎さん出演の短編映画『WATER』を軸にしたもので、1、2、3月と連続しておこないます。『指』は1回目に参加します。(3月はミナモザでおなじみ女優・佐藤みゆきさんが継続しているドキュメンタリー映画『1/10Fukushimaをきいてみる』と併映です)
直前のお知らせになってしまい恐縮ですが、もしお時間ございましたらぜひ足をお運びください。私もトークに出演します。一緒に考え、話す時間を持てたら嬉しいです。
『WATER Nude 2015』
日時:2015/1/23(金)19:30(open 19:00)
料金:¥2,000(別途ドリンク代500円)
会場:UPLINK FACTORY(渋谷)
 映画『WATER』上映→クロストーク→『指』リーディング→アフタートーク
 (トータルタイム1時間40分を予定しております)
『WATER』
 監督:手塚悟
 出演:中田顕史郎 境宏子
『指』
 作・演出 瀬戸山美咲
 出演:山森信太郎 つついきえ
詳細は下記サイトをご覧下さい。
http://water-movie.info/

ご予約はホームページhttp://minamoza.comのコンタクトからお名前と枚数をご連絡いただくか、
映画館からご購入いただければ幸いです。


ご来場お待ちしております。

2014年1月6日月曜日

ロンドン観劇旅行その1

2年前のドラマターグの記事の真っ最中ですが、ちょっと昨年末行ったロンドン旅行のことを書きます。


201312月、2週間ロンドンに滞在して演劇を観て来ました。
事の発端はお世話になっている或るプロデューサーさんから、「瀬戸山さんはとにかく海外の演劇を観て来たほうがいい」と言っていただいたからです。
演劇をやっていながら、私は今まで一度も海外で演劇を観たことがありませんでした。お恥ずかしい限りです。

以前にもやはり違うプロデューサーさんから「ラスベガスでショーを観て来たほうがいい」とアドバイスをいただき、それはなかなか実現できないでいました。しかし、今回は公演がしばらくないということもあり、無理してでも行こうと心に決めました。自分の作品の限界を取っ払いたいというのが一番の目的です。

アドバイスをいただいたのが8月の終わり。行き先は、ロンドンと決めました。ロンドンの演劇はテキスト重視であることと、日本で観て何かと気になった作品がロンドン発のことが多かったことから決めました。

期間は2週間で英語学校にも通うことにしました。学校に通うほうが、授業料・ホームステイも合わせて普通にホテルなどで宿泊するよりはるかに費用がかからないのです(ちなみにロンドン最安値の学校に行きました)。そもそも大学受験を最後に英語をまったく勉強していません。覚えている単語もわずか。喋るなんて遠い夢。渡航前に付け焼き刃的に英語の話せる友達に2回ほど最低限の会話を習いましたが、それ以上に勉強する余裕もなく、なんだかわけがわからないうちに出発の日になってしまいました。

というのも、この期間は公演こそなかったのですが、その分執筆だったりワークショップだったり今後の公演のための事務仕事だったりミーティングだったりが目白押しで、旅行の準備に割く時間はほぼゼロ。さすがに不安だったので『地球の歩き方ロンドン編』だけ買って、しかしそれを開くことないまま出発となりました。

しかも要領の悪い私は、旅行に、長編台本、演劇以外のシナリオ仕事、舞台のパンフレットの原稿などなど、仕事をいっぱい持って行くことに。徹夜で執筆して、成田エクスプレスで執筆して、空港で飛行機に乗る1分前まで執筆し続けて、でも全然終わらなくて絶望的な気持ちで上空へ。飛行機の中は、隣のたぶんイギリス人の男の子に気を遣ってパソコンを開けず悶々としながら、とりあえず着いたらやること(Suicaみたいなものを買ってホームステイ先まで行くこと)をシミュレーションしていました。

ちなみに観るべき演劇については、いつもミナモザのポストパフォーマンストークに出演してくださっている演劇評論家で、演劇翻訳家で、イギリス演劇の研究者である谷岡健彦さんに聞いて行きました。そのリストをプリントアウトしたものと、シアターガイドのウエストエンドのページの切れ端を握りしめ、しかしどれを観たらいいのかさっぱりわからないまま、気がつくとロンドンに到着していました。途中、飛行機から見たロシアあたりの山の風景が素晴らしくて、わけもわからず地球ありがとうと涙を流しました。

だいたい、海外にひとりで行くのも今回が初めてでした。なんとかSuicaみたいなオイスターカード(なんでこの名前?)を手に入れ、ピカデリーラインとジュビリーラインという電車を乗り継ぎ、ウエストハムステッド(ビートルズで有名なアビーロードの先にある住宅街)にあるホームステイ先に到着しました。ホームステイ先ではとにかくファミリーとコミュニケーションするぞ! と意気込んでいたので、家主の前情報(猫を飼っている、映画が好きな50代の女性)を頭に叩き込み、ベルを鳴らしました。しかし、彼女はおらず、20代前半の息子がいるだけ。しかも、彼は彼女といちゃつきながらDVDを観ている真っ最中。気まず過ぎて気になっていたお風呂のことも洗濯機のことも朝食のことも聞けず、ぐったりしながら半分睡眠状態で待つこと5時間。ようやく家主であるお母さんが帰って来て、話すことができました。(結局、このおうちは、お母さんが働いていてあまり家におらず、基本的にホテル感覚で部屋を貸している、かなりドライな家でした。1回も会わない日も多々あり。でも、すごく優しいお母さんでした。猫はもう飼っていないとのことで、いませんでした…)

そんな感じでようやく1日目が終了しました。まさか演劇を観るのはこれから4日も後になってしまうとはそのときは思っていませんでした。



滞在した街。

2014年1月5日日曜日

ドラマターグのこと。その2


前の記事を書いてから恐ろしく時間が経ってしまいましたが、続きです。

『ホットパーティクル』を上演し終えた私は、文字通り泥のようになってしまいました。
というのも、「よくぞ書いてくれた」「共感した」「自分の半年間も振り返った」など好意的な感想もありながら、かなり否定的な感想も多かったからです。演劇界隈の一部の人たちからは「物語がない。これは演劇ではない」と言われました。しかし、じゃあ、何が演劇なのか? 物語がなくちゃ演劇じゃないのかと、こちらの批判には真っ向から反論しました。また、上演前から「物事が落ち着いて状況が明らかになるまでは、原発事故を作品にするのは危険だ」的なことを言って来る人がいましたが、「官僚が嘘だか本当だかわからない形で状況を分析、発表してからやる表現って何の意味があるんですか?」とこれに対しても言い返すことはできました。この期に及んで演劇の形や、俯瞰で見ることにこだわるのはなんてばかばかしいんだと思っていました。そうは言っても、お金をいただいて作品として発表しているのですから、お客様から「つまらなかった」と言われば、それは「申し訳ない」としか言えません。『ホットパーティクル』は99%本当の出来事ですが(福島に行った部分の半分くらいはビデオテープをそのまま起こしているくらいです)、さすがに二時間お客様に退屈な時間を過ごしていただくのは私の信条として許せないので、演出や構成上で多少の脚色はしました(海に行ったシーンで実際はなかったビーチボールを出すとかそういうことです)。しんどかったのは、中に出て来た登場人物のひとり(つまり私の実際の友人)の感想でした。その人は、作品そのものもそうですが、私という人間の考え方や人間性そのものが納得いかないようでした。もともとあった人生に対する価値観の違いが、原発事故とこの作品を通して表に現れてしまったのです。実際、その人とはこの作品を期にほとんど会わなくなってしまいました。

これは大きなダメージでした。自分をさらけ出した作品をつくることの、本当の厳しさをようやく思い知ったのです。(そうじゃなくても作品は自分なので、批判されると基本的にダメージを受けますが)。会わなくなったと書きましたが、要は私が怯えて逃げたのです。
泥状態になっていた私は、顕史郎さんに元気を出せと「つかへい腹黒日記」を貸してもらってそれを読んでいるうちに少しずつ回復して、そうしてすぐに次の公演がやってきました。
「日本の問題」という8つの劇団が参加する企画公演です。この公演自体は震災前から決まっていました。「問題」というからには、もう目の前にある問題しかありません。震災と原発事故です。私は内容も決まらないまま、チラシには「今、目の前にある東日本大震災および原発事故にまつわる問題をやります。だって今それ以上の問題なんてない」と書きました。

かくして、日本の問題参加作品『指』は始動しました。
役者は合同オーディションをやったときにピンと来た山森信太郎さんとつついきえさんにお願いすることにしました。どんな話をやるかは決めていませんでしたが、彼らには「生活感」があり、そこが気に入りました。『ホットパーティクル』は東京でふわふわ生きている「私」の話だったので、今度は東京以外でもっと地に足をつけて生きている人を描きたいと思っていました。

結果は、地に足どころか、地につばを吐いて生きている、火事場泥棒の話を書くこととなりました。ことの始まりは、出演者のつついさんから聞いた話でした。彼女の知り合いの宮城出身の人が彼女にこんな話をしてくれたそうです。津波のあった場所ではタンス預金のお金が流れていること、それを拾う人たちがいること、そして指が切られている死体が見つかったこと。それはもしかしたら指輪を取るためではないかということ。私はそれをやった人たちを理解できませんでした。理解ができないこと、だからこれをちゃんと想像してみよう、そう思いました。書いてみたら、さほど自分から遠い人間ではありませんでした。もしかしたら自分も状況が違えばこうなっていたかもしれないとも思いました。

『指』は夫婦のふたりが、死んでいる人の指を切るかどうかで対立する話です。男は指輪を取るためにカッターを出せと言います。自分たちが生きるために必要だからです。女は「なんとなく」それは駄目だと言います。夫婦なのに、お互いの言っていることがまったく理解できない、それどころか理解してくれない相手に恐怖すら感じる。でもそれをうまく言葉にはできない。それは、『ホットパーティクル』で身近な人とコミュニケーションが取れなくなった私自身の姿でもありました。また、原発をめぐる言説が、反対派と容認派でまったくかみ合っていないことも描きたいと思っていました。「感情」対「論理」。でも、その論理も実は感情に基づいている。また、感情に従って選択するほうが実は論理的だという見方もできる。そんなことを考えたいと思い台本を上げました。


しかし、案外早く台本が上がったものの、構成上の無理が一カ所だけありました。最後のほうで、女が男を見限り、今までの何も決められない自分を捨てて自らの意志で生きていくと決めるところです。そして、その女の姿に男が影響を受けて、少しだけ変わる。そこが女の内面の変化だけで進んでしまっていました。つついさんは自分の感情を大切につくってくれるので、無理はないように仕上がっていますが、男が影響を受けて変わるほどではありません。これは台本上の欠陥です。

ここでドラマターグの登場です。台本を読んだ顕史郎さんはひとつ提案をしてくれました。男が変わるきっかけとして、目の前にいる死んだ人を「人」だと実感できるような仕掛けを作ったらどうかと。たとえば、知り合いに見えてしまうような。こうして、「ぽんちゃん」という台詞を書きました。女は男がカッターで指を切ろうとした瞬間、目の前の女の人が自分の友達の「ぽんちゃん」に見えてしまう。もちろん、こんなところにいるわけないと女も知っている。でも、服や髪型が似ていると。すると、男のほうもこんなところにいるわけないとわかっているのに、そう見えてしまう。そうしたらもう指を切れなくなる。

これは、私だけで書いていたら、思いつかなかった仕掛けでした。そもそも、本当にあったことそのまま書くのが真理だと思っていた人間だったので、劇作家にも関わらず作為的な「仕掛け」に抵抗感を持っていました。でも、その仕掛けで物語は完成し、そしてそうして初めて描けることがあるとこの作品で実感できました。わずか二ヵ月半前「物語がなくちゃ演劇じゃないのか!」と吠えていた私が、物語の持つ力にやっと気がついたのです。こうして『指』は誕生しました。

私は現実が好きです。現実ほど尊いものはないと思っています。薄汚くて、非道で、ぐちゃぐちゃな現実が好きです。その中にほんの一瞬現れてしまう「汚くないもの」を書きたくて戯曲を書いています。しかし、それを表現するのには、現実そのままじゃいけないのだと、ミナモザ旗揚げ10年目にしてようやく気がつきました。そして、あまりにもひどい現実の前では、物語が意味を持つことをようやく知りました。

ドラマターグのことを書くつもりがなんだか作品全体のことになってきてしまいました。このあと、『国民の生活』『ファミリアー』『彼らの敵』と続きます。

2013年8月25日日曜日

『彼らの敵』終了。ドラマターグのこと。その1


『彼らの敵』『ファミリアー』全公演が終了いたしました。
ご来場いただいた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
はじめての2週間公演、はじめての地方公演ということで、たくさんの新しい出会いがあった公演でした。

今日はこの作品を生み出す上で必要不可欠だったドラマターグについて書きます。

ミナモザには現在劇団員はいませんが、継続的に一緒に作品づくりをしてくれる仲間がいます。今回主演をつとめてくれた西尾君はすでに4回目の参加ですし、大原さん、浅倉さんも2度目です。今回初めて参加してもらった山森さん、佳南ちゃんともまた一緒に作品をつくりたいと思っています。「劇団」ではないけれど、一度集まったら「チーム」として機能する。ミナモザはそんな形態を目指しています。その「チームミナモザ」の中核をなしているのが、中田顕史郎さんです。

中田顕史郎さんには、俳優とドラマターグというふたつの側面からミナモザを支えてもらっています。

ドラマターグってなんでしょうか? 実は私もはっきりこうと定義することはできません。すごく端的にいうと、作家ではないけれど、創作全般に関わる人、がドラマターグです。作家と意見交換をする人であり、作品の方向を指し示す人であり、作品を検証する人です。こう書くと、かなり重要な役割みたいです。いや、実際、とても重要な役割なのです。

ここでは、ミナモザでの実際のやり方について書いていきます。

そもそも中田顕史郎さんとの出会いは20111月にシアタートラムで上演した『エモーショナルレイバー』でした。そのときは純粋に俳優としての参加していただきました。ただ、ほかの俳優さんよりすでに活発に意見交換はしていました。(最近のミナモザは、すべての俳優さんと意見交換する集団創作スタイルに移行しています)

その後、2011年3月11日に震災が起き、私は壁にぶち当たりました。9月に公演をおこなうことは決まっていましたが、やろうと思っていた内容が「今」と合わなくなってしまったのです。この時期、創作に携わる人はみんな同じ問題に直面したと思います。

この状況を前に、私と顕史郎さんは3月末くらいから、週1回ミーティングをおこなうことにしました。今、何が起きているのか、ということを実際のアウトプットは置いておいて、毎週話し合いました。その結果生まれたのが『ホットパーティクル』です。私・瀬戸山美咲自身の2011年3月から9月の半年間をそのまま舞台に載せたこの作品は「そもそもこれは演劇なのか」という点において批判もありましたが、このどこまでも「今」に反応した作品を「こういう作品を待っていた」と必要としてくれた人もたくさんいました。

この作品から、出演俳優の集め方に変化がありました。作品で扱う問題を共有できる人、「話」ができる人が必要絶対条件となったのです。初期の稽古は震災について話し合う時間を持ちました。ここでも、私と俳優の橋渡しをする役目として、顕史郎さんの存在は大きなものでした。

とはいえ、『ホットパーティクル』の製作過程は困難を極めました。再現性を重視する(私のこれまでつくって来た)演劇とドキュメンタリーには親和性がないのではないか。そもそも現実に起きていることを舞台に載せるにあたり、どこを終着地点とすればいいのか。そういうことがまったく見えなかったのです。本番初日の日付で終わることは決めていましたが、ただ時間でぶった切るのではなく、ミナモザなりの(現時点での)結論を示したい。稽古も残り1週間くらいの時点で、暫定の結末はできていました。でも、もっと先に行けると言ってくれたのは顕史郎さんでした。そして、「なぜ、美咲はこれを書くのか」という原点に立ち返る必要性を訴えてくれました。私が演劇をつくる上で一番大事だと思っていることは、「なぜ、“その人”が”その話”を書いたか」です。私にとって基本中の基本である命題ですが、創作しているうちにこの問いを見失ってしまうことがあります。うまく前に進めないときは、だいたいこの問いから離れたところで格闘していることが多いです。

『ホットパーティクル』を「なぜ書くか」と考えたとき、一見、震災や原発事故と無関係な、私という女が一部の男性に対して持っている恐怖のような感覚が実はこの芝居の根っこのところにあることを再認識しました。その扉の存在には薄々気がついていましたが無意識にずっと見ないようにしてきていました。しかし、もう限界でした。稽古後も顕史郎さんと電話で話を続けるうちにようやくこの扉の存在を認め、そして、翌日の稽古場で思い切って皆の前でその話をしました。あとにも先にもこのときだけですが、稽古場で俳優を前に自分の話をして泣きました。今思えば、「私」の話を芝居にするのだから、これくらいは必要な通過儀礼でした。そういう作業を経て、ようやく、最大の敵・原発(原発そのものというより、事故を経てなお、それにしがみつこうとする人たち)と向き合うことができたのです。

『ホットパーティクル』の最後の台詞「私は、原発を、止めてみせる」は、顕史郎さんに終末時計の話を聞いたことがきっかけで生まれました。1947年にアメリカの原子力科学者が唱え始めた世界の終わりまでの残り時間を示す終末時計は、今、5分前となっています。仮にジョンレノンが『イマジン』でこの時計を10分戻したとしたら、私はこの時計を2秒でも戻したい。そういう想いから、最後の台詞に辿り着きました。辿り着いてしまうと、なんともシンプルな言葉でした。しかし、それは常に顕史郎さんが「なぜ書くか」「何がひっかかっているのか」「どうしたいか」などと私に質問を投げかけ、さらにそのとき私に必要な助言や知識を与えてくれてようやく辿り着けた地平でした。

顕史郎さんは『ホットパーティクル』後の作品『指』と『国民の生活』にもドラマターグとして参加、その後の『ファミリアー』と『彼らの敵』にはドラマターグと俳優として参加してもらっています。

継続的に関わるドラマターグがカンパニーにいるということは、作品をその作品単体だけでなく、一連の作品群の中でとらえる目線を持つということです。ちょっと長くなって来たので、これについては次の記事で書こうと思います。