2013年8月25日日曜日

『彼らの敵』終了。ドラマターグのこと。その1


『彼らの敵』『ファミリアー』全公演が終了いたしました。
ご来場いただいた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
はじめての2週間公演、はじめての地方公演ということで、たくさんの新しい出会いがあった公演でした。

今日はこの作品を生み出す上で必要不可欠だったドラマターグについて書きます。

ミナモザには現在劇団員はいませんが、継続的に一緒に作品づくりをしてくれる仲間がいます。今回主演をつとめてくれた西尾君はすでに4回目の参加ですし、大原さん、浅倉さんも2度目です。今回初めて参加してもらった山森さん、佳南ちゃんともまた一緒に作品をつくりたいと思っています。「劇団」ではないけれど、一度集まったら「チーム」として機能する。ミナモザはそんな形態を目指しています。その「チームミナモザ」の中核をなしているのが、中田顕史郎さんです。

中田顕史郎さんには、俳優とドラマターグというふたつの側面からミナモザを支えてもらっています。

ドラマターグってなんでしょうか? 実は私もはっきりこうと定義することはできません。すごく端的にいうと、作家ではないけれど、創作全般に関わる人、がドラマターグです。作家と意見交換をする人であり、作品の方向を指し示す人であり、作品を検証する人です。こう書くと、かなり重要な役割みたいです。いや、実際、とても重要な役割なのです。

ここでは、ミナモザでの実際のやり方について書いていきます。

そもそも中田顕史郎さんとの出会いは20111月にシアタートラムで上演した『エモーショナルレイバー』でした。そのときは純粋に俳優としての参加していただきました。ただ、ほかの俳優さんよりすでに活発に意見交換はしていました。(最近のミナモザは、すべての俳優さんと意見交換する集団創作スタイルに移行しています)

その後、2011年3月11日に震災が起き、私は壁にぶち当たりました。9月に公演をおこなうことは決まっていましたが、やろうと思っていた内容が「今」と合わなくなってしまったのです。この時期、創作に携わる人はみんな同じ問題に直面したと思います。

この状況を前に、私と顕史郎さんは3月末くらいから、週1回ミーティングをおこなうことにしました。今、何が起きているのか、ということを実際のアウトプットは置いておいて、毎週話し合いました。その結果生まれたのが『ホットパーティクル』です。私・瀬戸山美咲自身の2011年3月から9月の半年間をそのまま舞台に載せたこの作品は「そもそもこれは演劇なのか」という点において批判もありましたが、このどこまでも「今」に反応した作品を「こういう作品を待っていた」と必要としてくれた人もたくさんいました。

この作品から、出演俳優の集め方に変化がありました。作品で扱う問題を共有できる人、「話」ができる人が必要絶対条件となったのです。初期の稽古は震災について話し合う時間を持ちました。ここでも、私と俳優の橋渡しをする役目として、顕史郎さんの存在は大きなものでした。

とはいえ、『ホットパーティクル』の製作過程は困難を極めました。再現性を重視する(私のこれまでつくって来た)演劇とドキュメンタリーには親和性がないのではないか。そもそも現実に起きていることを舞台に載せるにあたり、どこを終着地点とすればいいのか。そういうことがまったく見えなかったのです。本番初日の日付で終わることは決めていましたが、ただ時間でぶった切るのではなく、ミナモザなりの(現時点での)結論を示したい。稽古も残り1週間くらいの時点で、暫定の結末はできていました。でも、もっと先に行けると言ってくれたのは顕史郎さんでした。そして、「なぜ、美咲はこれを書くのか」という原点に立ち返る必要性を訴えてくれました。私が演劇をつくる上で一番大事だと思っていることは、「なぜ、“その人”が”その話”を書いたか」です。私にとって基本中の基本である命題ですが、創作しているうちにこの問いを見失ってしまうことがあります。うまく前に進めないときは、だいたいこの問いから離れたところで格闘していることが多いです。

『ホットパーティクル』を「なぜ書くか」と考えたとき、一見、震災や原発事故と無関係な、私という女が一部の男性に対して持っている恐怖のような感覚が実はこの芝居の根っこのところにあることを再認識しました。その扉の存在には薄々気がついていましたが無意識にずっと見ないようにしてきていました。しかし、もう限界でした。稽古後も顕史郎さんと電話で話を続けるうちにようやくこの扉の存在を認め、そして、翌日の稽古場で思い切って皆の前でその話をしました。あとにも先にもこのときだけですが、稽古場で俳優を前に自分の話をして泣きました。今思えば、「私」の話を芝居にするのだから、これくらいは必要な通過儀礼でした。そういう作業を経て、ようやく、最大の敵・原発(原発そのものというより、事故を経てなお、それにしがみつこうとする人たち)と向き合うことができたのです。

『ホットパーティクル』の最後の台詞「私は、原発を、止めてみせる」は、顕史郎さんに終末時計の話を聞いたことがきっかけで生まれました。1947年にアメリカの原子力科学者が唱え始めた世界の終わりまでの残り時間を示す終末時計は、今、5分前となっています。仮にジョンレノンが『イマジン』でこの時計を10分戻したとしたら、私はこの時計を2秒でも戻したい。そういう想いから、最後の台詞に辿り着きました。辿り着いてしまうと、なんともシンプルな言葉でした。しかし、それは常に顕史郎さんが「なぜ書くか」「何がひっかかっているのか」「どうしたいか」などと私に質問を投げかけ、さらにそのとき私に必要な助言や知識を与えてくれてようやく辿り着けた地平でした。

顕史郎さんは『ホットパーティクル』後の作品『指』と『国民の生活』にもドラマターグとして参加、その後の『ファミリアー』と『彼らの敵』にはドラマターグと俳優として参加してもらっています。

継続的に関わるドラマターグがカンパニーにいるということは、作品をその作品単体だけでなく、一連の作品群の中でとらえる目線を持つということです。ちょっと長くなって来たので、これについては次の記事で書こうと思います。